イギリスで生きてみる
by pirimiso
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Bicycle~♪Bicycle~♪
小さい時からずっと自転車に乗れなかった。
やっと乗りこなせるようになった時にはとうに25歳を過ぎていた。
近所の公園や歩行者、自転車専用遊歩道で猛特訓して、
ようやっとの征服だったのだ。
まず恥ずかしーという壁の克服が必要だった。
小学生がサッカーボールで遊ぶ横で
大の大人が転んだり、ヨロついたりしながら
何時間も苦闘する様は滑稽だったろうと思う。

いま、雪のちらつく凍るような風の中、突っ切るように走っていく時、
身体の底から湧き上がる喜びを感じる。
ただ家から駅の通勤のひと時なのに、
毎日毎日、「あー生きてるなー」という感慨がある。
子供の頃から当たり前のように乗れていたら
こんな気持ちを今も持ちつづけていたとは思えない。
わたしにとっては長年得がたいものであったからこそ
喜びは尽きないのだ。

子供時代にとって自転車に乗れない屈辱感は大きい。
それは全ての事の妨げであり続けた。
基本的なバランス感覚に対する自信の無さは
あらゆる体育系活動を苦手なものにしてしまったのだ。
とび箱も鉄棒もドッジボールもナワ跳びも、ただ走る事さえも
すべて総ナメでボロボロの小学生活は容易なものとは言いがたい。
なにをやってもやり遂げる嬉しさから縁遠いと、
努力する事から遠ざかってしまう。
それは、運動以外のあらゆる分野にも影響していたと思う。

なにをやっても、人の5倍も10倍もの失敗を重ねながら、
時間をかけて一つずつの壁を越えていかなければいけないのは、
いまも変わらない。
社会人として働くときにはそんなトロくささは通用しないことが多い。
そのプレッシャーを強く感じるからこそ、
人一倍テキパキ仕事をこなす人間のように振舞ってしまうが、
ドキドキしながら自転車のグリップを握りしめて
なんとかして前に進もうとしているのが実情なのだ。

ひとりで乗る自転車は自分がバランスよく調整していれば快調に進む。
もうバランスを気にかける必要もない。
人と関わる時には、お互いの間にそれとは違った種類のバランス感覚が
働いて成り立つ。
ときに、調整は簡単にいかない。微妙なところで。
でも、その小さな壁を越えるとき、小さな嬉しさがある。
人との良いバランスはそんな小さな喜びの積み重ねが保ってくれる。

毎朝、駅までの自転車はその日一日の準備運動。
自転車に乗れるのが、とてもうれしい。
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by pirimiso | 2005-03-16 03:20 | 日々の怒り?
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