イギリスで生きてみる
by pirimiso
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ジャンボ 完食
やーっと完食。

フー。
ワタシ5個、妹にも5個のノルマを課したのだった。

昨日の晩メシ用に作ったジャンボいなりずし。
でっかい握り飯のようないなりずしが、大食?姉妹の腹にズッシリとおさまった。
(デパ地下のジャンボいなりの1.5倍はあったよ。)

ジャンボサイズが10個並んだトコロは、なかなかの迫力だったので
写真に取っておこうと思ってたのに・・・・
「がんばって食わにゃー」と、意気込み過ぎてすっかり忘れる。

すばらしい料理の数々を、写真とともに公開するブロガーの方々の様にはいかないね。

たいてい大急ぎの料理が終わったら、食べることしか頭に無くなる。
いつもいつも、食べ終わる頃に「あ、写真」と思い出す。

食べ盛りの高校生男子がいるわけでもないウチでは
ありえない量の「おいなりさん」だったから、惜しいコトしたぜーと後悔。

食べ過ぎてふくれたオナカを見て、また後悔・・・
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# by pirimiso | 2005-09-22 00:31 | イモ食う者・マメ食う者
へ?
と、口開いたままボーーッと見ているだけだった。

ほんの一瞬の事だったから、
目がテンになるばかりというか・・・

線路の踏み切りで待ってたら、
踏み切りのすぐ手前で電車が止まった。

へ?

電車から運転手が降りてきて
小走りに踏み切りまでやって来ると
遮断機の棒をグイッと下に押さえつけるようにして
また小走りに電車に戻っていったよ。

異常な光景なのに
夕方の西日を受けながら
トコトコと線路を走るオジサンの姿が
平和に、かわいらしく見えた。

遮断機の降り具合が十分じゃなくて
停止装置が働いちゃったんやねー、と、理由づけができたのは
電車が再び動き出して行ってしまってからだった。

呆気にとられるってこういうコトなんか?

遮断機は降りきっていない様には見えなかったケド。
緊急制御装置というのは、小さな異常にもとても高感度なのかな?

ここは通勤電車が行きかう運行本数の多い路線。
地方の単線路を踏み切り番が手動操作してるわけでもない。
(だいいちそんなトコ、今でもあるのだろうか?)
手で押さえて、O.K. ゴー?

こんな光景には初めて遭遇したが、よくある事なんだろうか。

だいじょーぶかいなー。
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# by pirimiso | 2005-09-13 01:33 | 日々の怒り?
ビゴさんのフランスパン
ジモッチにとっては、"サンタさん"みたいな風貌のビゴさんの姿は
御馴染み「ビゴの店」のトレードマークのようなものなのだ。
阪神間で多くの店を開き、デパートやスーパーのベーカリーへも
出店している現在では、本店でもその姿を見ることはめったにないのだけど。

c0048612_22565661.jpgわたしが中学、高校生だった頃、
「ビゴの店」はまだJRの駅(当時、国鉄)の北側にあって、
入って行くと肉屋の陳列ケースのような棚に仕切られた店先と
奥に続くパン焼き作業場だけのそっけない店舗だった。
パンを注文すると、ピゴさんが手渡してくれる対面式の販売をしていた。

今では滑らかに日本語を話すビゴさんも、
当時は言葉少なく、そっけ無かった印象がある。
まだ純情シャイな(?)少女であったワタシが、
たっぷりとヒゲをたくわえたフランス人の「おじいさん」に対して
すこし緊張感を持っていたせいかもしれない。
(30年くらい前の事だ。ビゴさんはそんなに年取っていたわけではないだろうが、
   10代のワタシの目にはジーサマに映ったのだと思う。)

ビゴさんが日本に本場のフランスパンを伝えるためにやって来た、と言うだけあって、
当時の日本には表面がパリッと焼きあがったバゲットタイプのパンは、
全くといっていいほど存在していなかった。
パン屋で「フランスパン」として売られているものは、グンニャリとして
やたらと弾力の強い、今思い返すと不思議な食べ物だった。
(その味もなんだか懐かしい気もするケド)

「ビゴの店」から漂うパンを焼く匂いは、えもいわれぬ別世界を感じさせてくれた。
しつこいようだが、30数年前には焼きたてのバゲットが買えるベーカリーなど
他にはなかったのだ。
そしてその香ばしく焼きあがったパリッパリの表面と、
所々気泡が大きく開いたフンワリ軽い食感に夢心地になった。
ビゴさんのフランスパンを食べることは、
とてもハイカラで贅沢な体験だったのだ。(←おーい、大正時代か?)

今では、焼きたてのパンを買うことは特別なことでも何でもないし、
どこのベーカリーも独自のおいしい自慢のパンを作り出している。
フランスパンの味も店によってかなり違いがあって
それぞれに十分においしい、と思う。

ビゴさんの経営する店はこの辺ではいたるところにあるので、
いつでも気軽にバゲットとワインの食事ができるのがウレシイ。

時々、他店のフランスパンとピゴさんのパンと並べて比べっこする。
そうやって比較すると、味の違いがはっきりとわかるのだ。
小麦の味の香ばしさが強いビゴのパンがワタシは好きだ。

あまりに当たり前になってしまって忘れがちだが、
もし、ビゴさんがいなかったらこんな風に日本中どこでも
パリパリしたバゲットを食べられる今の状況は、少しちがっていたかもしれない。

ビゴさんは、フランス文化を日本に広く伝えた功績から
レジオン・ドヌール勲章を授与されている。
シラク大統領が来日の際には、夫人が本店までやって来たという。
すっごいオッチャンやってんなー、と感心すると同時に、
この地でビゴさんの味と共に育ってきたことをありがたく思うのだ。

*** ウチのイギリス人は「ビゴの店」のパンがお気に召さないという。
     「焼きすぎ」でバリバリだから、イヤなのだそうだ。
     あの香ばしさが美味しいのにさ~ やれやれ…
     味比べするのには、そういうワケもあり。
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# by pirimiso | 2005-09-09 22:21 | イモ食う者・マメ食う者
こころのハリケーン
「警告を受けてたのに避難しなかったのが愚かなのだ。」

「愚かと決め付ける事こそ愚かだ。
彼らが貧しくて避難するための車をもっていない事を思いやるべきだ。」

「略奪や発砲やレイプ!混乱の中とはいえ恥を知れ。」

「白人が食品店から食べ物を取ったら“食料を確保”と言い、黒人だと“略奪”と言う。
生き残るための行為にさえ差別で分け隔てをするのか!・・……………………
・・…………………………………

被災地の混沌と同じく、インターネット上の情報とそれをめぐる論争も激しく入り乱れる。
日本では普段でも、一部の過激な人たちを除いてネットでのやり取りは
「歯に衣を着せて?あたりさわり無く」が常識となっているから
実際に生死の境という状況にいる被災者について
ここまであからさまに言うアメリカ人には驚かされる。

「車」についてのアメリカ人の感覚にも????
“貧しくて車がないから逃げられない”
本当だろうか?

被災者もその他大多数のアメリカ人も、何の疑いも持っていないように見える。
病気の人も高齢者もいるのだから困難なケースもあるが、
通常、人は車が無くても歩いて10キロでも20キロでも逃げることができるのだ。

インドネシア沖津波の際、昔からの言い伝えが記憶されていた村では
遠く離れた山頂に避難して全員無事だったというケースがあった。
彼らがみんな車で避難したとは思えない。

アメリカ車社会の「通念」による洗脳が、
大勢の人々が避難することを躊躇させたのではないかと疑ってしまう。

アメリカ滞在時、何度言われたことだろう。
「そんなところまで車なしで行けないよ。」
「歩くなんて、あぶないから止めなさい。電話をくれたら迎えに行くから。」
あんまりにも車に依存しきっている人々は、歩くことなど念頭からないのだ。

そういうアメリカンのありがたい忠告を聞き流し
歩いていると時々通行不能な場所に行き当たる。

“道路”が前にずーっと横たわり、向こう側に渡れないのだ。
歩道者が通れる抜け道トンネルのようなものは無い。全く無い。
車の来ない合い間をねらって道路を突っ切ることも不可能だ。
中央分離帯に高くそびえるフェンスがあるのだから。

郊外を歩いていると時々そういう道路に出会う。
道路の向こうにあるスーパーマーケットに行きたいのに渡れないということがある。

スーパーは閑静な住宅街を通り抜けた向こうにあり
ワタシが道路に阻まれてたたずむのは、
その地区では治安がよろしくないとされている区域であったりする。

どうやら、道路は金持ち地区と貧乏地区を分離する壁の役割をはたしてるみたいやで…
いやらしーやり方やなー…
アパルトヘイトを非難したアメリカの実際がコレかい・…

つぶやきつつも、道路に沿って歩きつづけ1時間以上
やっと向こう側へ渡れる、と、見ると、すでにそこはダウンタウンであった。

ワタシが歩き回っていたのはカリフォルニアのごく一部の田舎である。
その体験をもって、他の土地についてとやかく言うことはできないが
人が歩いて移動する事をほとんど想定していない道路事情が
ハリケーンの被災地区にもあったのかもしれないな、と思う。

貧しい人々を囲い込み、車が無くては越えられない道路という姿をした「壁」が
立ちはだかっていたのかもしれない。

ニューオリンズが今、必要なもので寺田直子さんが書かれているように、
「本当にアメリカに必要なのは、お金では手に入れられないもの」

莫大な復旧費用をつぎ込んで、道路網や建物を再建しても
社会のベースにある意識が変わらなければ
貧しさに荒れる心を救う事はできないのだ。

今なお人々の間に吹き荒れつづけるこのハリケーンは
アメリカにある「壁」を崩すことができるだろうか。
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# by pirimiso | 2005-09-06 22:19 | 日々の怒り?
ミスティック・リバー Mystic River
c0048612_15594671.jpg
My "Painful Movies List" の中で<優秀賞>の1本、Mystic River
暴力に晒されて壊れていく人間関係を、
誘拐や虐待や殺人を絡めて描いていく脚本がすばらしい。
登場人物の状況や惨たらしい事件は
1つ1つを個別に見れば、アメリカでは(あきれるくらい)よくある事である。
多くのアメリカ人は何かしら共通する体験を抱えながら、この映画をどう観るのだろう。
深くよどんだまま流されて、川底に沈んでいくのを悲しむばかりなのか。

Joeはその舞台となったボストンにいて
川の流れを見ながら映画の印象が強くよみがえった、と言う。
映画に出演したという現地の人にも出会っている。

わたしにはこの映画のせいで、殺伐としたイメージがあるが、
「ボストンの人々はアメリカでも一番心温かい」らしい。
あくまでもJoeの持つ印象ではあるが
長くアメリカを旅したカレの言葉なので、根拠のないことでもないだろう。

アイルランドからの移民が多かった土地だからかもしれない、とも言う。
J: 「イングリッシュは冷淡だからねー。」 (←?コレもあくまでもJoeの意見)
その「冷たいイギリス」?からやって来たヤツは、アイリッシュ気質を賞賛するのだ。

ボストンは人情の温かみも、アメリカの暴力性も一緒くたになりながら
ミスティック・リバーの水のように混じり合っているのだろう。
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# by pirimiso | 2005-08-31 15:46 | JOEと映画を